呑気。
熊本地震から、今日で1年。
当時のことを話すと、
私は翌日の朝に、ニュースで地震が起きたのを知った。
崩れ落ちた家々、そして熊本城。
世界が終わったかのような空気を感じた。
さくらは熊本生まれ。
生まれ育った地域でも震度7を観測していた。
その頃から生家に手紙を出せねばと考えていたが、
さくらの成長した姿を見て元気を出してもらおうという気持ちと、
この大変な時期に手紙なんてただの迷惑だろうという気持ちが入り混じり、
結局出さないまま、1年の月日が経った。
いつか出さないといけない。
熊本地震でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りすると共に、
一刻も早い復旧・復興を心より願っております。
先月の3.11に思った。
今度起こると言われているのが南海トラフ巨大地震。
私は名古屋在住なので相当な揺れを体感する事になるだろうが、
津波は届かない地域のため少し安心してしまっている部分もある。
それにしてもだ、
海に直接的に面する町に住む人々は呑気すぎるのではないか。
津波がくれば確実に人が死ぬ。
死者0人なんて奇跡は絶対に起こらない。
確実に誰かが死ぬのに、ほとんどの人がそこから離れず、
上手く避難できれば助かるという思考をしている。
地元愛だろうか。それが自分の生死に勝ってしまっているのだろうか。
地元愛など芽生える筈もない名古屋に住む私が言える事ではないが、
それでは確実に誰かが死ぬ。無惨なる悲しみを味わう。
国も国である。
絶対に1人たりとも国民を死なせないという思いは無い。
あくまでも1人でも多くの人を、だ。
国民の命よりも予算か・・・。馬鹿らしい。
ニュースで流れる過去の地震を糧にした工夫も、我々に希望を見せている。
希望なんて、そんなものは要らない。
日本は世界でもトップクラスの平和を誇る。
だがそれ故に楽観的。
いわゆる平和ボケというやつだ。
1億人以上いる中で、自分が被害を受ける事なんてきっと無い。
自然とそういう思考をしている人も多いだろう。
自分も同じく楽観的。
例えば最近は米朝戦争が勃発しそうだとか何とか言ってるが、
どうせ自分には関係ないだろうと、ソファにもたれ掛かってオヤツを食べながら、
俯瞰するかのような気持ちでニュースを見ている。
大切なのは地震直後ではなく、地震前の対策。
まぁ結局は誰かが死ぬ。
どう足掻いても結局は死んでしまう。
その現実からは逃れられない。
もはや許容するしか無い。それが地震だ。
自分も、死ぬかもしれない。
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