批判は必要。だけど私は批判する人にはなりたくない。
どうもどうも。
えす(@Sakura_05300921)です。
この界隈にいると、「批判」を目にする機会が増えます。
そしてそれらを見かける度に思うのです。
私は批判する人にはなりたくない。 と。
今回はそんな自論を語っていきます。
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前提として、確かに批判は必要である。
今回の記事は「批判する人にはなりたくない」とか言いながらも「批判する人を批判しているじゃないか」というややこしい展開になりかねないので先に言っておきますが...
前提として、確かに批判は必要であるということは重々承知しております。
批判のない世界は法律のない世界と同等。
批判がなければそこは即座に無法地帯と化し、自由奔放に荒れ狂う輩たちで溢れ返る。
そうなれば世界はまた1つ悪い方向へと駒を進めてしまう。
だから、批判は確かに必要です。
批判があるから世界は成り立っているんです。
そこは否定しようのない事実です。
これは、その前提を踏まえた上での話です。
でも、正義が全て正しいとは到底思えない。
批判とは、正義。
勝算が全くない戦いに打って出るような人を除けば、大抵の場合、批判は正義を纏う。
正義は強い。つまり、批判は強い。
その圧倒的な正義を以ってして、袋叩きにし、蹂躙する。
幼児アニメにもある「悪は滅ぼすべき」というこの世界の基本中の基本とも言える構図を見事に具現化したその様は、どこかエンターテインメントのようにも映る。
それを、ただ呆然と眺める自分。
たまに脳裏をよぎる。
果たして、正義とは何なのかと。
私は、正義が全て正しいとは到底思えなかったりもする。
何かと批判する人を見ていると、虫唾が走る。
ただそこで生じた違和感を口に出せば結局は同等、いやそれ以下の人間だ。
だから必死にその違和感を塗り潰す。
だけど心の中には常に残っている。
“悪は滅ぼすべき” 、“正義は勝つ” 。
そんな当然の概念が、たまに、すごく怖く感じる。
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世界の大半は「どうでもいい」で出来ている。
正直私は、物事への関心が薄かったりする。
他人がどうこうっていう話にもそこまで興味がない。
自己中なのかもしれない。あとナルシスト的な面もあるのかもだ。
迷惑をかけない程度で自分が楽しければ十分だし、無駄に他人に干渉したいとも思わない。
他人は他人で自由にやればいいし、自分も自分で自由にやる。
つまり、私から見たこの世界は、大半が「どうでもいい」で出来ている ということ。
同じように感じている方も多くいると思う。
大半のことがどうでもいい。
どうでもいいで済ませていいことばかりではないけど、それで済むならこの世界はもっと楽だけど、やっぱり私の目には、大半のことがどうでもよく映る。
突如として圧倒的な悪が現れて、人々が批判という名の正義を振りかざし完膚なきまでに打ちのめしていたとしても、流れに乗じて批判したいとは思わない。
どうでもいいから。
どうでもいいことにわざわざ労力をかけますか?
私の中では、その答えは NO だ。
悪を擁護するつもりはない。だが批判するつもりもない。
無論、悪を擁護するつもりはない。
悪は悪。どう捉えたって、悪は悪だ。
正義に殺されるのも当然だし、仕方ないものだと思う。
その幼児アニメに示された世界の構図に沿って潰されるのも仕方ない。
だが私は、そこに加担して批判するつもりは全くない。
擁護もしないし、批判もしない。言うなれば、スルーだ。
悪を正したいという正義感も、世の中をよくしたいという正義感も、何もない。
私ほど政治家に向いていない人間もなかなか居ないと思う。
だが確かに、素行不良の生徒を何とかして更正させようとする昭和のドラマにありがちなどこかお節介にも見える教師のような心はあいにく持ち合わせていない。
だから、よい世界を作るという素晴らしき目標を持った正義感の強い方々に全てを任せる。
この世の中に必要となる「批判する側の人間」はそんな方々に任せる。
そして私は、その様を傍観しながら、いつも通り、私を生きていく。
ただそれだけ。
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まとめ
以上、批判に対する私なりの自論 でした。
まぁ自分だったり大切な人が傷つけられたときは批判して、まぁいわゆる抵抗をせねばならない場合もあるのかもだけどね。もしかしたら。
でも極力、批判にエネルギーを注ぎ込みたくない。
私はいつだって、優しい世界で生きていきたい。
それがただの幻想だとしても...
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自身の適当さがよく表れてるけど、これぐらいが楽だよ。自分は。