えすのおと

16歳の現役高校生 “えす” のブログ。

眼鏡を外して散歩してみたら笑顔が生まれた話。


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どうもどうも。

えす(@Sakura_05300921)です。

 

先日、というか昨日だけど、エノモト師匠のこんな記事を読みました。

 

 

 

とにかくメガネに甘えていてはいけない!

見えないものを見ようとする努力が足りないのではないだろうか?

見えない物を見ようとして、望遠鏡を覗く瞬間ではないのかと思っています!

目の筋トレです!

 

ピントの調節も要は目の光彩?的なところが収縮することによって光の入る量を調整して合わせています。今の僕には絞る力がない・・・


なら付けたらいいじゃん!!


ということで、先日より裸眼で生活しています!

 

引用:自力で視力を回復させる!メガネは甘え! - スベっていいとも!

 

 

“メガネは甘え” とは、いかにも師匠らしい考え方だなー。

 

そんなことを思いながら、そっと眼鏡を外す。

 

 

・・・全くもって何も見えない。

 

 

そう、かく言う私も眼鏡のヘビーユーザー。眼鏡ガチ勢なのである...!

 

 

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小学6年生のときから眼鏡をかけてます。

 

ここまで視力が悪くなってしまったのは何故だろうか。

 

思い当たる節はただ1つ。そう、ゲームである。

 

師匠に合わせた表現をするならばゲームのやりすぎによる “筋力の衰え” という所だろうか。

 

眼鏡をかけていると勉強のせいか、ゲームのせいかという究極の二択を迫られることがよくあり、優等生風の見た目と性格をしている私はいつも勉強のせいだと思われる。

 

そんな人々に対して謎の自信と誇りさえ抱きながら堂々と言い放ちたい。

 

勘違いしないでほしいと。ゲームに決まっているではないかと。

 

 

そんなこんなで気付けば視力は0.1を下回ってしまった。

 

確か今かけている眼鏡を買ったときに検査をしてもらって、そのときに0.1以下だと言われたように記憶している。簡易的な検査だったので詳しいことは分からなかったんだけど。

 

うん、視力が悪いってなんか改めて考えると何とも言えない悲しさがあるな。

まぁ3才の頃からゲームをやってたみたいだから仕方ないとしか言い様がないが。

 

 

私の視界をさくらの画像を使って表すならこんな感じ。

 

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画像をほんのちょっと加工しただけなので正確ではないが、とりあえず眼鏡を外すとドラマでよくある “意識不明の重体から何とか回復して病院のベッドの上で目が開いた瞬間に見える天井” ぐらいのレベルでぼやけた世界が広がっている。

 

眼鏡というフィルターを通さないと「可愛い」の搾取と言っても過言ではない神がかったさくらの姿さえ鮮明に見えないのだ。

 

まぁ眼鏡かけてない状態でも十分にその圧倒的な可愛さが分かるけどね。(親バカ自主規制)

 

 

少し話は逸れるがコンタクトという選択肢もある。

 

私ほどではないが同じく視力が悪い兄もコンタクトを付けているようだ。

 

ただあいにく私は あっかんべー恐怖症という厄介な性質を持ち合わせており、人があっかんべーをしてる様を見ると極端に恐怖を感じてしまう。アニメ等の創作物でも怖い。

 

いやあっかんべーが怖いというかあの目を広げたときに見える赤い部分が怖いというだけだが、その性質のせいでコンタクトには手を出せずに眼鏡をかけ続けている。

 

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とりあえず、眼鏡を外して散歩してみた。

 

まぁエノモト師匠も裸眼で生活しているみたいだし、物は試しということで自分も眼鏡を外して家の近くを散歩してみた。たぶん3週間ぶりぐらいに家の敷地外に出たってのは内緒だぜ☆

 

 

家の前。車通りの少ない道路の真ん中で、眼鏡を外す。

 

ただただ、ぼんやりとしている。

 

まるで別の景色のようだ!みたいな展開は特になく、ただただ、ぼんやりとしている。

 

そんな世界を、どこか緊張した面持ちで、ゆっくりと歩く。

 

一瞬乱れたように思えた平衡感覚もすぐに戻った。

 

 

十字路に差し掛かったとき、車が走ってきた。

 

ぼんやりとした視界の中でもさすがにそれぐらいは分かる。

 

ただ、ライトも運転手の表情も全く見えないので曲がるのか直進するのかが読めない。

 

運転手もなんかヤベぇ奴がいる!と思っていたかもだが、見えない世界は分かりようがない。

 

結局 車はそのまま直進してどこかへ消えた。

 

 

近所の畑に着いた。

 

そこに、亡き祖父の面影にすごく似た人が映った。

 

眼鏡をかけた瞬間に見えなくなるパターンかと思いつつも、私はそのフィルターを介した。

 

普通に見えた。そして当然 知らない人だった。

 

また眼鏡を外して、歩き始める。

 

でも、再度振り返って映ったその後ろ姿は、家の庭の手入れをする祖父にそっくりだった。

 

 

その他には特に何もなかった。

 

強いて言うなら、車が通り過ぎたあとに手羽先の匂いがしたぐらいだ。

 

眼鏡を外したありのままの状態だから、五感が研ぎ澄まされていたのであろうか。

 

まぁ視覚は死んでるから正確には四感だけど。

 

とにかく、車が通り過ぎたあとに、手羽先の匂いがした。

 

 

 

 

 

気付けば私は、部屋のベッドに座っていた。

 

ベッドの縁に座って、本を読んでいた。

 

正直、眼鏡を外して散歩してみても、何1つとして得たものはなかった。

 

そんなことを思いながら、星野源のエッセイ集「そして生活はつづく」を読んでいた。

 

本の中に、眼鏡を外して生活してみたという話があったことを思い出したからだ。

 

 

相変わらず面白い。

 

私はこの本が大好きだ。

 

その事実を再確認しつつ、笑っていた。

 

 

ふと、眼鏡をかけた状態で読んでいたことに気付いて、慌てて外す。

 

ただただ、ぼんやりとしている。

 

その景色がどこかおかしくて、私はやっぱり、笑っていた。

 

 

 

 

 

☆1年前に書いた「そして生活はつづく」の感想記事はこちら。


 

最後までご覧頂きありがとうございました。

 

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エノモト師匠に感謝。