生きにくさの原因は「立派な人にならねばならない」という呪縛だった。
どうもどうも。
えす(@Sakura_05300921)です。
今回は久々の人生論。何やかんやで半年ぶりぐらい...?
単純にそこまで人生について語ることがないってのもあるんだけど、恐らく大多数の読者が大人の方であるこのブログで高校生の私が人生論垂れ流すってどうなの...?みたいなところも正直ありました。
でもまぁただの個人ブログですからね。
好きに書けばいいんじゃねってことで自分の考えをまとめるとともに、あわよくば自分と同じような年代で同じような境遇にある方に届けばいいなぐらいの気持ちで綴っていきます。
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立派な人になろうとしていた。
子供の頃の将来の夢は「人の役に立つ仕事に就くこと」でした。
確か小学4年生ぐらいからそんなことを言ってたかな。
よく学校とかで将来の夢を書かされるじゃないですか。
今になって考えてみるとあぁいうのって無意味な気もしてしまいますが。
なんか将来の夢なのに将来就きたい職業を書かないといけないみたいな暗黙の了解があって、皆んなが学校の先生とかサッカー選手とか海猿とか多種多様な職業を書いてて。
そんな中で、自分は鉛筆を片手にずっと静止していて。
今もそうなんだけど昔から就きたい職業とかそういうのが全くないんですよね。
ある意味、現実主義みたいな。そういう子供でした。
それで悩みに悩んだ挙句 導き出した答えが「人の役に立つ仕事に就くこと」。
逆に人の役に立たない仕事ってなんだよって感じですが。笑
きっとどこかで、立派な人にならねばならないと思っていたんじゃないかなと。
言うて子供なのでそこまで強迫観念的にこびり付いていたワケではないだろうけど、周りを見ながら、顔色をうかがいながら、きっと立派な人になることが大事なんだろうなって。
だから授業も真面目に受けた。優等生として過ごした。立派な人になるために。
漠然とした世界の中で、無意識にそれだけを追い求めていました。
でも気付けば立派とはかけ離れた人になっていた。
どこか充実感に満ちていた生活は一瞬にして崩れ落ちる。
中学1年生のときに体調を崩して遅刻しがちになり、中学2年生で不登校に。
学校に行くということが立派であることの最低条件だった筈なのに、いつだってそうしてきた筈なのに、いつの間にかそれはどんどん遠のいていく。
あれ、なんでだろうって。
立派な人になるべきなのに、自分はそこからかけ離れた人になっていく。
外出時、学校の前を通るときはいつも胸が痛んだ。
それは今も変わらない。あのときの経験のおかげで今の自分があるとは言え、やはりあの3年間はあまり良い思い出ではない。
他の皆んなは立派に学校に通っている。自分だけ取り残されたかのような気持ちになった。
生きにくさの中に生まれる、自己否定と自殺願望。
ずっと、不登校になった立派ではない自分に価値を見出せずにいました。
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立派じゃなくたっていいじゃない。
そこから月日が経ち、現在に至るワケですが。
今になって思うのは、「そんな立派じゃなくたっていいじゃない。」ってこと。
なんかもう1周回って色んなことに良い意味で諦めがついたというか。
すごくゆるくなりましたね。自分に対して。自らを縛っていた固い鎖がきれいに消えてなくなったみたいな、そんな感覚。
大事なのは、不完全を愛すこと。
もう本当にこれに尽きる。これがめちゃくちゃ大事。
16年間生きてきて、そして大きな挫折を経てようやく分かった。
自分も他人も不完全だからこそ美しい。
たまにムカつく野郎もいるけれど、それも含めてよいんだと思う。
愛してあげようよって。立派じゃない自分を。
そういうもんなんじゃないかなと。
聖者になんてなれないよ。
不登校だった時期、とにかく色んな曲を聴いていました。
自分の音楽観が形成された時期でもあったと思う。
その曲の1つが、THE BLUE HEARTS の名曲「TRAIN‐TRAIN」。
小学4年生のときにクラスの朝会で歌ってたんだけど、やはり歳を重ねることで全然聴こえ方が違ってくるというか、確実に心に響く何かがあったのを今でも覚えています。
特に最後のサビ前のこの歌詞。
栄光に向って走る あの列車に乗って行こう
はだしのままで飛び出して あの列車に乗って行こう
土砂降りの痛みのなかを 傘もささず走っていく
いやらしさも汚らしさも むきだしにして走ってく
聖者になんてなれないよ だけど生きてる方がいい
だから僕は歌うんだよ 精一杯でかい声で
引用:TRAIN‐TRAIN / THE BLUE HEARTS(作詞 作曲:真島昌利)
「聖者になんてなれないよ だけど生きてる方がいい」
もうね、これを聴いたときの感動ですよね。
今までの人生で数多の曲を聴いてきたけれど、その中でも1番なんじゃないかってぐらいに良い歌詞だなぁ...と思う。
今聴いても これこれこれ!!!みたいになる。
ここまで自分の考えを完璧に言い表してくれている歌詞はそうそうない。
まさにこの通りなんですよ。立派じゃなくたっていい。
あるがままの自分を生きよう。
平日の昼、愛犬と庭でサッカーをして遊んでいるときにふと思う。
今の自分は、周りから見たらどう映るのだろうと。
無地の長袖とジャージズボンとクロックス。とてもだらしない。
きっと、というか確実に立派には映らないだろうけど、そんな今の自分が好き。
突き詰めていくと、やっぱ私の中では自分の「好き」が1番大事なんですよね。
すごく極端な例えをすると、めちゃくちゃ勉強ができて周りから立派な人だと称賛されてるけどその “勉強のできる自分” が嫌いだったらあんま意味ないんじゃないかなって。
周りからの評価より、自分の好きという気持ちを大事にしていきたい。
自分に嘘をついて無理をしてでも周りからの評価を優先しているなら尚更のこと。
立派な人にならねばならないという呪縛から抜け出して、好きな自分を生きる。
傍から見ればただの戯言かもだけど、人生ってそんくらいゆるくていいんじゃない?って思います。
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おわりに
以上、立派じゃなくたって、ええやん?っていうそんな感じの話 でした。
今の自分の考えは大体が不登校期とその後の過程で形成されたものなんだけど、それらのことが今になってようやく上手いこと言語化できたりもするので今後もたまに人生論の記事は書いていきたいですね。
何よりもこうやって考えをまとめることで自分の中で整理と再確認ができるからなんかすごくスッキリとした良い気分になるっていう。書いてみて良かったです。笑
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立派じゃなくたっていいじゃない。人間だもの。えすを