【私小説】もう一人の自分。
ふと鏡を見ると、生意気な顔がそこに映った。
吸う空気がとても熱い。
信じられないほどに熱がこもった洗面所は、移ろう季節の奴隷だ。
一方で、全能感に浸っているかのようなその顔は、若気の至りという言葉がよく似合う。
けれどそんなものは自分の中のほんの一部でしかなくて、心の奥底にはいつももう一人の自分を飼っている。そんな感覚が、たまに訪れる。
彼はとても臆病で、その様はまさに、昔の自分とそっくりだった。
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今日は三者面談だと気付いたその瞬間に、心地の良い朝は憂鬱へと姿を変える。
部屋がいつもより暑苦しく感じた。水を一口だけ喉に通す。
エアコンを強くしようかと思ったけど、面倒に感じて再度ベッドに横たわる。
でも私はどこか強気で、気付けばすでに制服に着替えていた。
そんなときはいつだって、もう一人の自分は置いてけぼりにされている。
「待って。」
その小さい声は、誰にも届かない。そして、自分にさえも。
・・・
最近、人前だとほとんど声が出なくなった。
クーラーの効いた校舎の一室。脳裏には淡い過去の記憶が蘇る。
子供のころから喋るのが苦手で、人前に立つといつも泣いてばかりいた。
なぜか声が出ない。なぜか何を喋ればいいのか分からない。
何を聞かれても、10秒ぐらいの沈黙がそこに生まれる。
この歳になってもまだ、自分の気持ちを相手に伝えることすらできない。
そうして何一つとして異を唱えられないまま、全てが先生の言うとおりに収まっていく。
NOが言えない。嫌だと言えない。無理だと言えない。
演じている訳ではないのだけれど、なぜか良い子にしかなれない自分の弱さ。
そう。いつだって心にはもう一人の弱い自分を飼っている。
見えない鎖に繋がれたまま、ずっと殻に閉じこもっている。
去年の三者面談では、ちゃんと話せたのにな。
そうやって手に入れた、自分に合ったやり方も、今回ですべて振り出しに戻ってしまった。
あぁ、何やってんだろうと思っても、やっぱり自分は弱いままで。
あとで後悔することも分かっているのに、やっぱり変わらなくて。
人の視線が怖くて、まともに目も合わせられない。
そんな不甲斐なさをひた隠しにするように、後部座席で目を閉じ、家路についた。
・・・
「なんで君はそんなに弱いの?」
そう問いかけたくなったけど、何だか虐めているみたいな気がしてきてやめた。
きっと、いつまで経っても同じなんだろうな。
いつまで経っても自分は弱いままで、いつまで経ってもこの弱い自分と一緒。
ずーっとずーっと、もう一人の自分を飼ったまま。
理想の自分はいつだってそっと手を差し伸べている。
でも彼の前ではそれもただの無意味と化す。心の奥底で、塞ぎ込んでいる。
・・・
人は変われると、誰かが言う。
自分もそう思うし、現に変わった。変わったと信じていた。
でも実際は何一つとして変わっていなくて、そんな自分が嫌になる。
埋められないそのギャップ。目を背けたいその事実。
現実逃避のゲームも、今日だけはどこか虚しく映った。
※この物語は小説のくせに ほぼほぼノンフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空ではなく、実在のものと関係があります。