えすのおと

16歳の現役高校生 “えす” のブログ。

剣道で全国3位になったりと、人生で1番輝いていた小学時代。


 

昨今の件については、本当に申し訳なく思っております。

改めてお詫び申し上げます。

 

 

昨日の記事では中学時代について話しました。


 

今回はもう1つ過去に遡った小学時代について話します。

 

昨日の記事を見て、

不登校ごときで ちょっと大袈裟じゃね?と思った方もいるかもしれませんが、

それには今から話す小学時代の出来事が大きく関わっています。

 

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今回はただの自慢話で終わる可能性があります。

この時代が、私の人生で唯一の、自信を持てる部分なのです。

 

 

今もそうなんだけど ものすごい人見知りで、

人とまともに喋る事すら出来なかった小学時代の私。

 

そんな私がやることになったのが、剣道です。

 

もともと父がやっていて、

その影響で兄もやっていて、

 

あっ、兄がいます。2人兄弟です。

そういえば言ってなかったですね。

 

そんなこんなで小学1年生の時、

私も流れでやる事になったのです。

 

 

剣道をやっていた人がよく

「始めた頃は防具が重くて・・・」とか言うんだけど、

 

私は相当な低身長だったので、

人一倍どころか2倍以上も重さを感じる。

(いま現在も150cmちょいしかありません。同年代の平均身長はおよそ165cm。)

 

しかもその背が低いこともあって弱っちい人間で、

幼少期から今みたいに平和主義なところがあったので、

そんな戦うような競技は向いてないと言っても過言ではなかった。

 

 

最初は試合に出ても全く勝てなかった。

 

ただ意外と器用で要領だけはよかった事もあって、

小学3年生ぐらいになると徐々に勝てるようになった。

 

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その年の夏。

 

私は初めて、あの日本武道館に立った。

 

小3にして日本武道館で試合が出来るなんて

今思えばかなり貴重な経験である。

 

日本武道館に入れる人なんて そんな居ないよね。

武道をやっている選手と、有名なミュージシャンとそのライブのチケットを獲得した人とか そんぐらい?

 

今まで色んな会場で試合をしてきたが、

武道館だけはやはり別格だった。空気が違った。

 

その空気感を知る人間も数少ないんだから、本当に貴重な経験である。

 

 

小学4年生。

 

この年は私の人生の転機だった。

 

小学4年と、あとで書く小学6年、そして前回書いた中学時代の3つが

今までの15年間ぐらいの人生のターニングポイントだろう。

 

 

小学4年とはつまり、低学年の最上級生という事。

 

その年は高学年の人数が少なく5人からなる団体チームが作れなかったので、

同学年の低学年キャプテンが高学年チームの方に参加した。

 

そして何故か、私が低学年チームのキャプテンに。

 

しかも5人いる中の5番目、最後の砦である大将を務める事になった。

 

 

正直言ってありえない。

 

大将っていうのはチーム内でも強く、

基本的には1番背の高い人が務めていることが多い。

 

対してどうだろう。

 

大将の私がチーム内で1番背が低いのである。

 

1個下の後輩よりも背が低いのである。

それほど私が昔から低身長という訳でもある。

 

あんまプレッシャーを感じる人間ではなかったものの、

かなり、ありえないのである。

 

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人生の転機になったのは秋頃に行われた、

県内では最大級となる全国規模の大会。

 

同じチームの皆はけっこう剣道オタクっぽいところがあって、

ここのチームが強いとかそういう情報をよく知っていたのだが、

私は剣道雑誌すら読まないような人間だった。

 

そんな私でも名前を聞いたことがあるような

ものすごい強くて有名な道場が全国から集まっていた。

 

 

私はそのときも大将。

 

でも正直 勝てる気、というか勝つ気もなかった。

まぁベスト16ぐらいまで行ければいいんじゃね?みたいな。弱気だった。

 

 

しかし予想に反してどんどん勝ち上がってしまったのである。

 

チームメイトが強かった。

これはすごく強く強調したい。

 

将来 県内のトップどころか全国のトップに立つような人たちと、

運よく同年代で同じチームになったのである。

 

私もなんかノッてきて、調子を上げていった。

 

 

全国レベルの大将となると

ホントに低学年?中学生じゃね?と思うような高身長な輩が出てくる。

 

そんな輩と私が戦っている様子を見た人たちはきっと、

殺されやしないか とヒヤヒヤしていたに違いないだろう。

 

しかしそんな相手に勝つ私。

背が低いがゆえに通常にも増して「すごい!」という印象を与えられるのが、

低身長の特権であると密かに思っている。

 

 

気付けば決勝戦まで勝ち上がっていた。

 

決勝の相手は恐らくその頃 低学年のトップに立っていたであろう有名な道場。

高学年など他の部門でもその道場が決勝を牛耳っていた。

 

ここまで来ると道場の皆のみならず

県内の全ての人たちが我々を応援するようになる。

 

今までに味わった事のない雰囲気。

 

 

試合は1番目の先鋒から4番目の副将まで全員引き分け。

そして大将の私も引き分け。

 

大将まで戦って勝敗が決しない場合は

各チームから1人選んで勝負がつくまで戦う、代表戦というものが行われる。

 

出場したのは、私。

 

漫画である。

先鋒から大将まで全員引き分けで代表戦なんて完全に漫画の世界である。

 

相手チームが選んだのは、やはり大将。

 

全国トップのチームの大将という事はつまり

全国トップと言っても全くおかしくは無い選手。

 

当たり前だけど めちゃ強かった。

 

 

けど、勝っちゃったのだ。

 

 

全国的に見ればほぼ無名とも言えるチームが、

全国のトップをおさえて優勝しちゃったのです!

 

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奇跡がおきた。

人生の中で嬉し涙が出たのは たぶんあの時だけだと思う。

 

 

それからもう全てが一変した。

 

例えば練習試合のグループ戦とかでも

県内であれば県内の、全国であれば全国のトップ集団に混じってやったり、

香川まで遠征に行ったのも確かその頃。

 

小学4年にして人生の絶頂を体験したのだ。

 

 

5年生はなかなか厳しい時期になったが、

早くも小学生最終学年、6年生。

 

さっきから剣道の話ばっかで学校について何も話してないけど、

それほど、この小学時代は剣道一色だった。

 

学校の友達より剣道の仲間のほうが正直言って大事だった。

 

 

4年生の頃、一種の革命を起こしたような世代だったので

当然 周りからの期待や注目度は高く、責任も大きかった。

 

その重圧で本領を発揮できない日々。

 

前半はかなり苦しかった。

 

今までは3位に入賞すればバンザイだったのが、

その頃は入賞しても内容が伴ってないとダメみたいな状況だった。

 

 

そして迎えた夏の全国大会。

 

テニスとかサッカーとか、他のスポーツは、

市で勝って、県で勝って、地方で勝って、みたいな感じで

全国に出場することすら かなり困難を極めるのかと思いますが、

 

剣道の場合は、県で2回ぐらい勝てば全国に行けるので、

出場するまでは難しい話ではありませんでした。

 

ただ いざ全国となればレベルは桁違い。

 

 

目標はベスト16。

 

そこまで勝ち上がると日本武道館の電光掲示板に

自分たちの道場名が映し出されるので、それを目指した。

 

 

かなり危ない試合の連続だったが何とか勝ち上がり、

全国の16チームの中に入った。

 

電光掲示板に道場名をのせる事もできた。

あの瞬間は感動した。

 

 

残るチームはもう何度も何度も名前を聞いてきたような有名道場だけ。

正真正銘の頂点の戦いに、私のような平凡な人間が参加していた。

 

そこでも勝ち進み、なんと準決勝。

 

全国の小学生剣道チームの中の、4つに残った。

 

 

惜しくもそこで負け、日本一には届かなかったが、

私は全国3位のチームの一員になったのだ。

 

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日本で3番目のチーム。

 

信じられなかった。何だかすごかった。

 

試合後には多くのカメラマンが来て写真を撮られた。

大手の剣道雑誌にも載ったし、確か新聞にも載ったと思う。

 

「その日 好調の Sakura channel が」的なことを書かれた。

 

ホテルに帰って、ベッドに横たわって、

あのとき感じたフワフワとした不思議で幸せな気分は今も覚えている。

 

まさかあんなに弱かった自分が、

こんな偉業を成し遂げるまでになるとは・・・

 

 

剣道をやってきて思ったこと・学んだことなどを

作文に書いて発表する大会では愛知県1位をとったりもした。

 

そうなると、原稿用紙4枚分ぐらいあったのかな?

作文の全てを暗記して大勢の人の前で発表するんですよ。

 

人見知りな人間からすれば最悪極まりない話であって、

何で1位になっちゃったんだよ~!と思いながらも やる事になって。

 

 

もう本当に緊張した。

 

目の前には200を優に超えるであろう多くの剣士たち。

 

観覧席には大勢の保護者。

 

後ろには愛知県を代表する先生方が一同に並んでいて。

 

そんな注目を一身に浴びて1人作文を読み上げるワケですからね?

 

もう地獄でしたよ。

その場から今すぐにでも逃げ出したかった。

 

全国大会の準決勝よりも断然こっちの方が緊張した。

 

 

で結局は中部大会で発表して1位になっちゃって、次は全国ですよ。

 

実は私の兄もこの作文で愛知県1位をとっていて、

でも中部大会敗退で全国には行けなかったから私は その部分だけ切り取れば勝ったワケです。

ちなみに全国出場はというのは通っていた道場では初となる快挙でした。

 

 

遥々 大都会・東京まで行って、

同じく勝ち上がってきた人たちと同じ部屋で一泊。

 

北海道とか、青森とか、色んな人が居ました。

 

いや小学6年生で、って考えたら

相当すごいというか貴重な経験だと思います。

 

後日 賞状の最後とかに名前が書かれているような、

そんな剣道界のお偉いさんたちも在席の中で作文発表。

 

結果は残念ながら敢闘賞だったが、

もう、とにかく貴重な経験をさせてもらった。

 

喋ることが苦手だった人間が、

人前での作文発表を成し遂げられたのだから。

 

 

小学生として最後の試合となった全国大会では、

本気で日本一を目指して戦ったが、夢は叶わず。

 

でも最高の仲間たちと一緒に

最後まで試合が出来たのは非常に嬉しかった。

 

 

本当に幸せだった。

 

小学時代の私は完全なる幸せ者だったのだ。

 

当時も、町内の中ぐらいだったら1番の幸せ者なんじゃないか、と

けっこうマジな方で思ってた。それくらい幸せだった。

 

仲間に恵まれ、機会に恵まれ、全てに恵まれた。

そんな最高の人生だった。

 

 

だから、今の不調はその頃のツケが回ってきたんじゃないかと思っている。

 

いい思いをし過ぎたために天から課せられた罰。

 

私が昨日の記事に書いたように大きく挫折したのは、

小学時代に輝きすぎて、そこからの落差が激しかったからでもある。

 

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はい、そんな小学時代でした。

 

楽しかったです。

 

今も左を向けば、数々のメダルやトロフィー、楯などが

A型らしく 丁寧に所狭しと並べられています。

 

でも、あの時代には戻りたくないなー

 

もうプレッシャーと戦う日々は懲り懲りです。

 

いや、よくもあんな厳しい状況下で生き抜けたなーと

過去の自分に対して驚いています。正直。

 

 

最後までご覧頂きありがとうございました。

 

 

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追記。「今日あった大ニュースを当たり障りのない程度に語る。」

 

いやー、まさかそっちがそうなるとはね。しかもWで。

絶対にあっちが先にあぁなると思ってたので、かなり意外でした。

まぁとりあえず非常におめでたい話ですよね。

それで次こそあっちがあぁなるから、

そうなったらあの人はどうなっちゃうんだ、って心配が出てきますけどね。うん。

これを記事にすれば確実に膨大なアクセスを稼ぐ事が可能なんだろうけど、

そこをグッと堪えてファンとしての秩序を全うしたいと思います。本当におめでとうございます!