祖父が亡くなりました。
まるで、仕組まれたかのようだった。
用事を終え、家へと帰る午後8時。
ぼんやりと暗い車の中。
現実を伝える着信音が、どこか鮮烈に鳴り響いた。
仕組まれたかのように。
全て、決まったシナリオだったかのように・・・
突然のご報告となりましたが、祖父が亡くなりました。
齢80だったかな。
ここからあともう一踏ん張りというところでの、突然の死でした。
元から体調は優れない様子だったものの、1週間ほど前、容態が悪化し入院。
それからずっと、病院で過ごしていました。
そしてその時から、この結末が、脳裏を過ぎっていました。
病院から、今すぐ来て下さいとの連絡が届いた時は、本当にダメかと思った。
でも、祖父は、生き続けた。
ガンをも乗り越えた男だ。
そんな容易に息絶えるはずがない。
もしかしたら、生きて家に帰ってくるんじゃないかとまで思っていた。
でも、その男の死は、案外あっさりとしたものだった。
私は、祖父のことが好きではなかった。
いや、もっと言えば嫌いだった。
不登校になったときには、陰口を叩かれ続けた。
祖母に対しては、いつも怒鳴り散らかしていた。
そんな祖父のことが嫌いだった。
祖父は常に反面教師だった。
あんな風にはなりたくない、いつだってそう思い続けた。
いつだって私は、祖父のことが嫌いなままだった。
きっと、祖父が死んでも泣けないのだろうと思っていた。
家族の死に涙すら流せないのだろうと。
でも、その現実を伝えられた後。
1階のリビング。
いつも祖父が座っていたマッサージチェアや椅子を眺めたとき。
あぁ、もう此処には居ないんだ。と思うと、自然と涙が出てきた。
泣いたのなんて、何年ぶりだろう。
恩はあるかと聞かれても、パッとは出てこない。
感謝も、尊敬も、愛も、何もなかった筈なのに。
それなのに何故か、涙が溢れ出して止まらなかった。
最後に話したのは、いつだっただろうか。
あれは確か、私がトイレに入っていたときだ。
気付かずに祖父が、トイレに入ろうと取っ手を掴んだ。
そのときに聞いた声は、いつになく優しかった。
いつになく優しい声で、「あぁ、入ってるのか。」と。
つられて私も、いつになく優しい声で、「うん。」と返した。
そのときの声に、何処となく愛を感じた。
その瞬間だけは、今までのことが、遠くに飛んでいったような感覚があった。
愛情の裏返しなんていうキレイごと、信じさえしなかった。
でもそのときの声には、確かに愛がこもっていた。
今あるのは、後悔だろうか。
なぜ、病院に顔を出さなかったのか。
それは自分でも分からない。
その行動が、死を認めるかのようで怖かったのか。
分からない。
でも、この大事なときに限って、私には勇気が出なかった。
その確かなる事実だけが残り、後悔となって私を責め立てる。
病床で、必死に生き続けていた祖父。
私を待っているのだろうか。
そんな感覚に襲われる。
その現実を直視できぬまま、私はベッドの上で縮こまっていた。
その現実を遮るかのように、布団の中に隠れていた。
勇気が出ない、己の未熟さから逃げるように。
生きているうちに、1度でいいから、会いたかった。
1度でいいから、会えばよかった。
部屋では、壊れかけた電灯が、心臓の鼓動のように点滅を繰り返している。
そこに、生と死の境界を映し出している。
その微かな音を聴いていると、祖父はまだ生きているんじゃないかと思えてくる。
死んだ。死んだんだよ祖父は。
身体は火となり欠片となり、我々の前に現れた。
なのに、未だに信じられない。
つい最近まで、趣味の庭の手入れをしていた祖父が、もう、そこには居ない。
リアリティを帯びないその現実に、打ちひしがれている。
でも確かに、もう、そこには居ない。
そこには、何もない。
学校帰りに「おかえり」と声を掛けてくれた祖父も。
毎年冬に行なわれる剣道の大会を見に来てくれた祖父も。
正月にお年玉を渡してから私の頭を撫でた祖父も。
家の庭でパターゴルフに興じていた祖父も。
一緒に「男はつらいよ」を見ながら横目に映っていた祖父も。
親戚の結婚式のついでに行った人生初めてのディズニーランドに興奮していた祖父も。
愛犬の病院に付き添ったときの車内で隣のシートに座っていた祖父も。
深夜に起き上がり静かに廊下を歩いてトイレに向かっていた祖父も。
競馬中継を見ながら元気に騒いでいた祖父も。
毎週月曜に家に来る親戚と話しそして笑い合っていた祖父も。
階段の途中から小窓を覗けばいつも目に映る椅子に座ってTVを見ていた祖父も。
そこには、何もない。
もう、そこに祖父は居ない。
その霞んだ景色を見て、私は、何を言えばいいのだろうか。
考えた。
考えた末に出てきたのは、謝罪なんかではなく、感謝だった。
散々迷惑をかけた。
でも最後はやっぱり、感謝で締めくくりたいと思う。
15年間、お世話になりました。
追伸。
このような記事を公開するのは良くないということは重々承知しております。
ですが家族の死を無視して、作り笑いのような記事を書いていくこと、
ブログという自分そのものに嘘をつくことに、強く居た堪れなさを感じたので、
切り替えの意味も込めて、今回こうして書かせて頂きました。
ご心配おかけしてしまい、本当に申し訳ありません。