【ブログ開設2周年記念】1匹の柴犬に人生を救われた男の話。
どうもどうも。
えす(@Sakura_05300921)です。
本日 2018年4月28日、
ブログ開設2周年という節目を迎えることができました。
いつもご愛読してくださっている皆様には本当に感謝です。
せっかくだからなんかそれっぽいことを書こうかなーと思って1周年のときの記事を見たんだけど、そこでは安直にブログの記録だったりを振り返ってたんだよね。
でもまぁそれもマンネリだし、そもそもこのブログの本質はそこではない。
だから、今回はちょっとした思い出話でもしようかなと。
【祝1周年!】今までのブログ人生の全てを振り返る。 - えすのおと
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私がブログを始めた理由をご存知でしょうか。
最近になって交流し始めた方とかはもしかしたら知らないかもですね。
話は2,3年ほど前に遡ります。
2,3年ってなんか遡ってる感じしないけどまだ16年しか生きてないから許してください。
当時の私は、地獄のどん底にいました。
まぁ、よくある話です。
大体の人がそういう経験をしていると思うし、そういうように出来ていると思う。
単にその瞬間の訪れが人よりちょっと早かっただけで。
中学1年の頃、急に朝起きられなくなり、毎日のように学校を遅刻する生活に。
毎朝起きれなくて、学校に間に合わなくて、遅れて家を出た車の中では母にヒステリックに怒られて。そんな日々をずーっと送っていた。
学校に着いたら、正門のチャイムを鳴らしてから職員室に向かい、遅刻の報告をして先生と一緒に教室へと向かう。
同級生に荒れた様子はなく、どれだけ遅刻してもいじめられるようなことはなかったが、心のどこかにはいつも疎外感を抱いていた。
なんで自分だけ...
そんなことを考えたって、何も変わりはしない。
またいつも通り朝が来て、いつも通り起きれなくて、いつも通り学校に間に合わなくて、遅れて家を出た車の中では、いつも通り母にヒステリックに怒られる。
ずーっとずーっと、その繰り返し。そこから逃れることはできない。
それが重なりに重なったある日。
いつも通りに遅れて家を出た車の中。緩い下り坂。
怒り狂った母が、突然アクセルを踏んだ。
全身にその凄まじいスピードを感じた。自然と体が強張る。
涙目にぼんやりと映ったメーターは、優に100kmを超えていることを無慈悲に示していた。
本気で “死” というものを感じたのはそのときが初めてだったと思う。
ただただ率直に、あっ、死ぬんだな。って。
緩い下り坂の先には、終わりしか見えていなかった。
車は信号ギリギリで止まり、事なきを得た。
中学2年になって少し回復の兆しが見えたのも束の間、また体調を崩し、5月頃にあった野外学習を最後に学校へ行かなくなった。いわゆる、不登校。
先に話すとそこから卒業までは1度たりとも登校していない。卒業式も含め。
今思うと、何だかよく分からない3年間であった。
いつだかに行った病院では起立性調節障害だと言われた。
はっきりと病名が出たことで、母も私を無理に学校へ連れて行くことはなくなった。
でも、だからと言って苦しみから解放されたワケでもなく、寧ろそこからが本当の地獄だった。
今まで小学生の頃からずっと、周りと同じで学校に通っている “生徒” という立場を保ってきたのに、それが突然消えて無くなる。
何もかも無くなる。何もかも出来なくなる。
果たして自分に存在価値はあるのか。生きている意味はあるのか。
今頃みんなは学校に行っている。でも自分は...
周りの目が怖くなる。外に出られなくなる。
1日中 光を浴びない生活。徐々に精神が蝕まれていく。
やっぱり自分は生きてちゃダメなのかもしれない。
死にたい。こんな苦しい日々なんかとは、さっさとお別れしたい。
自己否定と、自殺願望。
何もない日々の中に、ただそれだけが蠢いていた。
どうしてこんなことになってしまったのか。自分でも分からなかった。
言葉にならない感情を吐き出すように、毎晩ベッドの上で泣き叫んでいた。
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常に死にたいと思いながら、夏が終わって、秋が来た。
忘れもしない。2015年9月21日。
私の人生を大きく変える出来事が起きた。
母に呼ばれ、慌てて階段を下り、外へ出る。久々に外の空気を吸った。
そこに居たのは、叔母に抱かれた1匹の柴犬。
“さくら” と名付けられた彼女と初めて会ったのは、そのときだった。
真っ暗だった私の視界に、ほんの少し光が差し込んだような気がした。
今も棚に大切にしまっている1つのCDがある。
“さくら ~十日が経って~ 名場面集 part1 2015.10.1” と印刷されたそのCDには、その当時に自分で撮影・編集をしたさくらの動画が記録されている。ちなみにpart2はない。
初めての動画編集だった。ソフトをインストールして、一から作り上げた。
効果音の付け方が分からなかったので、自分の声で補ったりなんかして。
なぜいきなり動画編集を始めたのかは覚えていない。
でもそれは紛れもなく、全てを失い、絶望の淵にいた自分が、新しい一歩を踏み出した瞬間であった。
数ヵ月後、それをキッカケに柴犬さくらの動画を中心にしたYouTubeチャンネルを開設。
当時の日記には、自分の等身大の思いがたくさん綴られていた。
初めてチャンネル登録された!登録者が4人になった!台湾の人に見てもらえた!1本目の動画の再生回数が100を超えた!遂に収益が発生した!6.8円!
楽しいと感じた。
心から楽しいと感じられる日が来るなんて、夢にも思わなかった。
もっともっと色んな人に動画を見てもらいたい!じゃあどうすればいいんだ?
調べた。模索した。試行錯誤した。
ある日、有名な柴犬のチャンネルがブログで人気を博していることを知った。
もしかしたら、ブログをやればYouTubeも人気になるのかな?
ブログを始めた理由は、そんな浅はかなものだった。
でもその選択が、また私を一歩前進させた。
そうして生まれたのが、ブログ『柴犬さくらの生活日記(現:えすのおと)』。
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それから早2年。
今もこうして、文字を紡いでいる。
正直今は、人生めちゃくちゃ楽しい。
もう一生立ち上がれないと思った。這い上がれないと思った。
ダメかもしれないと思った日も山ほどあった。
でも今なら、大声で言える。
生きててよかった、って。
そして、私の側には、いつだって彼女の姿があった。
あのとき、もう1度コンティニューボタンを押す力をくれたのは、間違いなく彼女だ。
全ては、1匹の柴犬から始まった物語。
私の人生を救ってくれたさくらに、感謝を込めて。
最後までご覧頂きありがとうございました。
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