【私小説】この世で一番怖いのは、自分を嫌いになること。
鬱々とした気分を引き連れて外に出る。朝。
乱れなくただ一定に鳴る虫の音と、アクセントを加える小鳥の声。
そこは音に溢れていて、でもどこか静かにも感じられた。
新品のカメラは、胴体から垂れ下がる脱力した右手に、ぴったりと収まっている。
何年も前から履いている古びたクロックス。
歩くたびにキュッキュッと、あからさまにカタカナが似合う音が辺りに響く。
それはまるで幼児がよく履く音が鳴る靴みたいで、人とすれ違うときは少し恥ずかしくて、なんとか鳴らないように不自然につま先で歩いてみたりするけど、やっぱり鳴る。
あぁ、くだらない。くだらない、ただの日常。
でも、それでいい。それだけでいい。それぐらいが丁度いいのに。
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社会で生きるというのは、自分自身に嘘を重ね続け、嘘で塗り固めるということだ。
シャワーを浴びているとき、情緒が乱れる。
ほんの、ほんの一瞬だけ、胸が苦しくなり、息が浅くなる。
人間なんて、皆んな多重人格者。
きっと、誰だってそう。
誰だって、自分に嘘をつきながら今を生きている。
何一つとして偽りのない、そんな場所は果たしてあるのだろうか。
あるのだとしたら、連れて行ってほしい。
いやたぶん、それは自分で切り開かねばならないものなのだろうけど、今はそれすらも面倒なほどに無気力で、もう何もかもを諦めたいような気分だ。
・・・
「やる気が出なかったから」
三者面談。レポートが締切に間に合わなかった理由を聞かれてそう答えると、軽く呆れられてしまった。
「大学生・社会人になったら “やる気が出なかったから” なんてことは通用しないし、高校2年生としてやらなければならないことはちゃんとやらないと」
担任が、優しく私を諭す。
綺麗に並べ立てられたいまいちよく分からない御託に、気の弱い自分はその通りな気がしてきて、妙に納得して、そのまま言い包められていく。
いつもとなんら変わりない。いつだって、同じ光景。
やりたくないことも我慢してやる。
それは人間として当然のことだし、人間であるからには当然でなければならない。
皆んなそうやって生きているし、自分だって1年ぐらい前まではそうしてきた。
でも今となってはもう、その当然を為せる人間の心理状況すら到底理解できない。
なぜ、やりたくないことをやらねばならないのか。
なぜ皆んな、やりたくないことを我慢してこなせるのだろうか。
今まで全く引っ掛からなかった当然が、引っ掛かり、絡まり、足を止める。
朝起きたくないから起きない。
学校に行きたくないから行かない。
お風呂に入りたくないからと言って、ずっと入っていなかった時期もあった。
そんな非人間的な生活を送ってきたツケが、こんなところで。
脳裏には、いとこに社会不適合者だと言われた、あの日の記憶が蘇っていた。
・・・
「高校2年生としてやらなければならないことはちゃんとやらないと」
布団がぐちゃぐちゃに散らかったベッドの上。
その正論は、反芻すればするほどに、刃先の鋭さが増していくようにさえ感じられた。
年齢相応の、あるべき姿。
そんな嘘で塗り固められた幻想に疲れ果てたりもするが、もうそこからは逃れられない。
唯一、生きるのが面倒くさくなる瞬間。
いっそ車にでも轢かれて消えてしまった方が面白そうだと思ったあとで、咄嗟に我に返る。
自分の中にまだそんな感情が残っているということに少し動揺しながら、生きたいという、所謂 生への執着を取り戻した今だけは、まだ死にたくない。そう言い聞かす。
外では虫の音が、なお乱れることなく、ただ一定に鳴り続けていた。
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気付けば夜は深まっていて、また気付けば、辺りは朝色に染まっている。
結局のところ、人から嫌われようが、何を言われようが、そんなものは関係ない。
あくまでも、投げかけられた現実という名のその見えない棘に、自分の、自分に対する評価が揺らいでしまうことが問題であって、だからこそ私はそれを恐れている。
この世で一番怖いのは、自分を嫌いになること。
いつも必死になって蓋をして、嫌いな自分から逃げて、見て見ぬフリをするけれど、たまにそれが溢れ出すときがある。
そんなときに、私はこの椅子に座って、こうして文章を紡ぐ。
※この物語は小説のくせに ほぼほぼノンフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空ではなく、実在のものと関係があります。